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最終更新 平成12年01月21日 第一版

豊国丸船長 ― 川島誠一 ― よりお客様へのご挨拶を申し上げます。


お客さま各位

 【ご挨拶】

皆様こんにちは、豊国丸船長です。豊国丸へご乗船並びにホームページをご覧の皆様、いつも本当に有難うございます。この伝統のシャクリ釣りを通して、一人でも多くの釣友に真鯛の引く醍醐味を堪能して頂きたく、毎日心と技術を研ぎ澄まし修理・建築に鍛錬する日々です。今後ともよろしくお願い申し上げます。


 【回想録】 シャクリ釣りの歩んできた道のりを振り返ってみます。

key word:テンヤ釣り

シャクリ釣りは昭和40年以前はテンヤ釣りと呼ばれ、現在のテンヤオモリ一個で道糸を水深に合わせ、水面から底までを探っていました。当時のマダイの多くは、中層にて釣れていました。船頭が左腕で櫓を漕ぎ、右腕で3本ないし4本の釣り竿を操り、助手もいて釣れたら手繰り上げたり、糸の入れ替えや餌を着けたりしていました。
その昔、紀州の漁師が漁に出て荒天に遭遇し、黒潮に流され辿り着いた房州の鼻へ、紀州と同じ白浜とか勝浦などと地名を付け、住み着いたと伝えられています。そこで伝えられた漁法が潮の流れに合わせた現在の釣りのルーツとなる物でした。内房では比較的穏やかな潮流から軽いテンヤ釣り、外房では潮の流れが速い事からビシマ釣りとして根付いて行く事となります。当時の漁具が那智勝浦の漁具資料館に「鹿の角でのテンヤ釣り」として紹介されています。
key word:中オモリ シャクリ釣り

昭和50年あたりから釣り船の大型化、大型貨物船の航行が多くなりました。この頃から中オモリをつけテンヤからシャクリ釣りと呼び方が変わって来たように思います。昭和50年5月の釣り人の本に「マダイも水面が騒がしく底に入る」と書いた思い出があります。時代の移り変わりに伴いマダイを取り巻く環境が変化して来たのでしょう。マダイが深く潜行していくこととなり、我々の釣法も移り変ってまいりました。


 【船長よりひとこと】

ハリスや道糸は新しいものを選びたい。新しい糸を選び餌をいかに自然に見せるかが腕を倍増する。釣りも努力で喜びを立ち寄らせ、多く接することで喜びを培うこととなる。これが基本かと。

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